右~左~右 その10

今日のお話です
どうぞご覧ください

右~左~右 その10

明治31年、日本に初めて輸入された自動車は
フランス製の右ハンドル車でした

正直なところ、私の頭の中では
「初めての輸入車=イギリス製」
だと信じ込んでいました

ねじの規格や産業技術の多くが
イギリス由来だったこともあり
“当然、最初の車も大英帝国から来たはず”
と思っていたのです

しかし、実際に日本の地を最初に走ったのは
意外にもフランス車でした

そして「左側通行 × 右ハンドル」という
日本独自の文化が始まり
イギリス車の導入で“右ハンドル文化”は
さらに定着しました

しかし大東亜戦争後
GHQの占領下に置かれた日本には
左ハンドルの進駐軍車両があふれ
一時は街全体が“左ハンドル時代”に

それでも、日本はインフラと
生活の実情に根ざして
左側通行・右ハンドルを守り抜きました

そして1978年
沖縄「730(ナナ・サン・マル)」で
全国が再び統一され
“右ハンドルの日本”が正式に戻ります

つまり日本のハンドル史(自動車史)は
右ハンドルから始まり、左ハンドルを経て
再び右ハンドルへそして現在は
左右が自然に混在する国になりました

明治9年(1876年)、日本初の交通法令
「東京市街乗物営業取締規則」が制定され当初は
「右側通行」と定められましたが
後に「左側通行」に改定されました

実はそれ以降、日本では現代まで
一度もハンドル位置を
法律で規定したことはありません

10回にわたってハンドル位置の歴史
を書いてきましたが、結論は

「通行区分に従えば
ハンドル位置はどちらでもいい」

日本はハンドル位置にも寛大な国なのです

日本は昔から、今では想像もできないような
独自の文化や思想を育んできました
また、外から来た文化や思想を否定せず
うまく取り込みながら
独自の形に変えてきました

日本のこうした柔軟さや寛大さ
そして「どちらのハンドルでも受け入れる」
懐の深さを歴史の授業でも
少しは教えてほしいものです

ハンドル位置も含めて、ね(笑)

出典、参考
・東京市街乗物営業取締規則
(明治9年・1876年)内務省公文書館所蔵

・730(ナナ・サン・マル)交通切替えについて

・日本の左側通行(samurai/武士・刀論)起源

・長谷川如是閑の日本文化研究
(新美貴英 編/早稲田大学リポジトリ)

・鈴木浩三『江戸の道と人の流れ』

最後まで読んでくださって
ありがとうございました

ではまた明日

今日も素晴らしい
1日になりますように

田中健介

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