右~左~右 その6

今日のお話です
どうぞご覧ください

右~左~右 その6

DAT号が完成した翌年
第一次世界大戦(1914年〜1918年)が勃発
軍需景気によって
自動車の需要は一気に高まりますが
当時の日本にはまだ
本格的な量産体制が整っておらず
軍用・官庁用として導入された
多くの車両は輸入車でした

1910〜30年代にかけて
日本の道路交通はすでに
左側通行が完全に定着しており
それに合わせて国内メーカーの車も
右ハンドルで設計されていました

日産(当時のダット自動車製造)
豊田自動織機製作所(トヨタ自動車の前身)
いすゞ、日野、三菱重工(旧・新三菱)
これら初期の自動車メーカーは
いずれも軍用トラック・バスを
右ハンドル仕様で製造し
民間でも「右ハンドル=日本車のかたち」が
常識になっていきました

しかし1937年、日中戦争の勃発
続く太平洋戦争の中で
国産車の開発は軍需生産へと切り替わります

ガソリンは統制され、民間車はほぼ姿を消し
軍用トラック・乗用車の多くは
右ハンドルのままでしたが
輸入された軍用車には左ハンドルも多く
整備現場では“左右混在”という
またもや混乱が生まれていました

この時期、日本の技術者たちは
「部品も、ハンドルも、そしてねじも
国によってこんなに違うのか」と
知ることになります

そして1945年、終戦
GHQの占領下に置かれた日本の道路には
進駐軍の左ハンドル車があふれ
左側通行の日本で
左ハンドルの車が列をなすという
左ハンドル時代が到来

民間人が乗る車の多くは
進駐軍からの放出品で
「左側通行なのに左ハンドル」という
当時では考えられない光景が日常でした

GHQの占領期には3S政策や
WGIP(War Guilt Information Program)など多
くの社会的再編が進められましたましたが

では、そのような状態で
日本は、どのようにして
“左側通行・右ハンドル”の文化を
取り戻したのか?

続きは、明日お届けします

出典、参考
自動車技術会『日本の自動車技術180年史』(JSAE, 2017)

日産自動車公式アーカイブス
「ダット号誕生物語」

「日本自動車工業史・上巻」
(日本自動車工業会, 1988)

最後まで読んでくださって
ありがとうございました

ではまた明日

今日も素晴らしい
1日になりますように

田中健介

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