今日のお話です
どうぞご覧ください
技の家系の小さな工場から始まったお話
1917年
いまの高知県南国市、当時の久礼田村で
のちに、自分の技で生きていく
青年が誕生しました
「樫尾忠雄(かしお ただお)」
忠雄は高等小学校を出ると
見習いの旋盤工として働き始めます
腕が良かったので、工場主から
「もっと勉強してみないか」と背中を押され
仕事のあとに 早稲田工手学校に
通って技術を磨きました
いくつかの職場を経て
鍋や釜、自転車の発電ランプなど
“生活の中にあるもの”を
静かに、丁寧につくるようになり
いいものは黙っていても広がるもので
彼の技術も口コミで伝わり
部品加工の依頼が増えていきました
そして1946年終戦直後の東京都三鷹市に
「樫尾製作所」 を設立します
これが、のちの「カシオ計算機株式会社」
の原点となります
樫尾製作所は顕微鏡の部品や歯車をつくる
小さな下請け工場でした
忠雄の下には 俊雄、和雄、幸雄 の
三人の弟がおり
三人ともそれぞれ“ものづくりの気質”を持ち
兄と同じく、道具や機械に触れることを
嫌がらない性格でした
なかでも、機械工として働いていた 俊雄 は
「自分の発明で兄を助けられないか」と考え
樫尾製作所に加わります
俊雄は、持ち前の発想力を生かし
数々の発明を試みます
そのひとつが

「指輪パイプ」 です
戦後間もない当時は物資が不足して
おりたばこも根元ぎりぎりまで吸うのが
当たり前でした
そこで俊雄は、仕事の手を止めずに吸えるよう
たばこを差し込める
“指輪型のパイプ”を考案します
俊雄がアイデアを出し
忠雄が旋盤で形に
し父の 茂 がそれを売り歩く
家族の手がそれぞれに動き
やがて徐々に引き合いが増え
「指輪パイプ」は作るそばから売れていく
小さなヒット商品となります
こうして、小さな家族の工場から
ひとつの発明が生まれていきました
この“指にはめる道具”がなければ
私が購入した「G-SHOCK・nano」も
生まれてこなかったのかもしれません
素晴らしい歴史を知ってしまったので
文字が見えなくても
「G-SHOCK・nano」を愛用したいと思います
出典:参考
カシオ50年史(CASIO 50th HISTORY)
CASIO公式サイト
最後まで読んでくださって
ありがとうございました
ではまた明日
今日も素晴らしい
1日になりますように
田中健介
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