今日のお話です
どうぞご覧ください
右~左~右 その8
日本の中で唯一「統治下」に置かれた場所
それが、沖縄です
そして、その沖縄では実際に
「右側通行」が行われていました
大東亜戦争(太平洋戦争)後
沖縄は本土とは異なり
1952年のサンフランシスコ講和条約後も
GHQ(米軍)の統治下に残されました
つまり、日本が主権を回復した後も
アメリカの道路制度のままだったのです
米軍の管理下で整備された道路は
すべてアメリカ式で信号機、道路標識、車線
そして車両も 右側通行・左ハンドル
まさに「ミニ・アメリカ」でした
沖縄県民もこの交通制度に合わせ
アメリカ車や左ハンドル仕様の日本車を運転し
右側通行が“当たり前”の文化として
定着していきました
ところが、1972年の「沖縄返還」によって
日本に復帰したあとも、すぐに交通制度を
切り替えることはできませんでした
そのため、日本の中で唯一
“右側通行”の地域が続くという
状態がしばらく続いたのです
返還後も道路交通法・道路運送車両法・信号規格などが
本土とは異なるまま運用されていたため
事故処理や保険制度、車両登録の面
で大きな不整合が生じていました
そしてついに「このままでは日本の法律を
完全に適用できない」という問題から
1978年に全国と統一することが決定
そして、沖縄の交通史を変える
“あの日”を迎えることになります
続きはまた明日に
出典、参考
内閣府 沖縄総合事務局「沖縄の交通史」
国立公文書館
『沖縄の復帰と行政施策(昭和47年~53年)』
最後まで読んでくださって
ありがとうございました
ではまた明日
今日も素晴らしい
1日になりますように
田中健介
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