右~左~右 その7

今日のお話です
どうぞご覧ください

右~左~右 その7

戦後、GHQの占領下に置かれた日本

街には、進駐軍のジープやトラックなど
左ハンドルのクルマが列をなし
日本の道路を埋め尽くしていました

「日本も右側通行になるのでは?」と
思われた方も多いでしょう

実際、GHQの管理下では
アメリカ式の制度や文化が急速に流れ込み
教育・憲法・報道・娯楽までもが
“アメリカナイズ”されていきました

しかし、日本の通行方向だけは
変わりませんでした

きっかけは
1952年のサンフランシスコ講和条約
この条約によって日本は表向きの主権を回復し
道路法・車両規格・交通制度などが
再整備されました
左側通行が正式に再確認され
国産車も右ハンドルで統一

そして日本は、再び“右ハンドル文化”を
取り戻していくことになります

一見すると
大きな改革があったように思えますが
実際の理由はもっと現実的で
最大の要因はインフラです

日本は古くから
「左尊右卑(さそん・うひ)」という思想があり
明治〜大正期には「左側通行」がすでに制度化
道路も鉄道も都市設計もすべてが
左側通行基準で作られていました

全国の道路標識を反転し
バスのドアを作り替え駅前ロータリーをすべて逆回転にする

そんな余力は、戦後の混乱期の日本には
どこにもありませんでした

もうひとつの理由は車の構造です
当時の日本車はすべて右ハンドルで設計され
トラックやバスといった
公共輸送を支えていました

もし方向を変えるとなれば
国の物流そのものが止まってしまいます

こうして日本は、GHQの占領下にありながらも
「左側通行 × 右ハンドル」
という文化を守り抜いたのです

いや、もしかすると
GHQがそこを重要視していなかったのかもしれません

実際、GHQが日本に対して
「右側通行に切り替えろ」と
明確に命じた文献や公式指示は確認されていません

「既存インフラを維持した方が合理的」
そうした現実的な判断が優先されたのでしょう

むしろ、GHQにとっては
「そんな小さなことより
もっと重要なことがある」
と示唆する資料もありました

しかし、日本の中で唯一
「統治下」に置かれた場所では・・・

続きはまた明日に

出典、参考
「なぜ日本の道路は左側通行なのか?
調べて分かった歴史の裏側」Car-Rider

最後まで読んでくださって
ありがとうございました

ではまた明日

今日も素晴らしい
1日になりますように

田中健介

お問い合わせ、
作業依頼、本家ブログは↓
https://www.cbp-oyd.net/

バックナンバー
是非ご覧ください。
https://www.cbp-oyd.net/back-number.site/

登録解除は↓
https://t.bme.jp/bm/p/f/tf.php?id=cbpoyd&task=cancel

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次