右~左~右 その5

今日のお話です
どうぞご覧ください

右~左~右 その5

ねじの混乱が起きる中
「輸入車の修理に苦労するよりも
日本の道路と気候に合った車を
自分たちの手で作ろう」
そんな声が、東京や大阪の機械工場の中で
少しずつ上がり始めました

部品の多くはまだ輸入に頼り
図面も技術書も十分ではない状態の中
それでも職人たちは
見よう見まねで鉄を削り、曲げ、叩き、
少しずつ形にしていきました

そして1911年(明治44年)
横浜・山下町で設立された
日本初の自動車製造工場の
快進社自働車工場が
1914年(大正3年)に
国産実用車 「DAT号(ダット号)」 を
完成させます

快進社の創業者・橋本増治郎 も
英国式の機械や工具を多く導入していたため
車の設計も自然と 右ハンドル に

エンジンは自社設計の直列4気筒
最高速度は約32km/h
乗車定員2名のオープンタイプでした

この「DAT」という名は3人の出資者
田 健治郎(Den)/青山 禄郎(Aoyama)
竹内 明太郎(Takeuchi)
それぞれの頭文字を取ったもので
同時に「脱兎(だっと)」=兎のように速く走る
という意味も込められていました

残念ながらDAT号は
商業生産には至りませんでしたが
1920年代には軍や官公庁の要請を受けた
本格的な国産車開発の流れが起こり

昭和初期には、快進社自働車工場が
ダット自動車製造(のちの日産) となり
豊田自動織機製作所(のちのトヨタ自動車) が
次々と自動車開発に乗り出していきました

DAT号の「あれ」、気になりませんか?

つい調べてしまいました

残念ながら正確な資料は見当たらず1
917年に制定された
日本標準規格(JES)よりも前の時代で
当時の工場に並んでいた
旋盤や工具類は英国式のようでしたので
ねじの規格は ウィットウォースねじ(BSW)
だったと推測されます

サクッとまとめて書き終えるつもりが
気づけば寄り道ばかりになってしまいました

ですが、よく知られている本筋よりも
そこから枝分かれした小さな出来事のほうに
どうしても“物語”を感じてしまいます

東急東横線よりも
ローカルな東急多摩川線のほうが
なんだか、落ち着くんですよね

最後まで読んでくださって
ありがとうございました

ではまた明日

今日も素晴らしい
1日になりますように

田中健介

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